秩父神社
昔の日本
蝦夷と海老の関係
海老は体の色が葡萄(えび)に似ているから。蝦夷は語源が良く分かっていない。
変哲の無い日常が問われる。
海老は体の色が葡萄(えび)に似ているから。蝦夷は語源が良く分かっていない。
十五夜を待つのであって出るのが遅いわけではないらしい。
カフェで林間学校のときに米を持たされた、米穀配給通帳というものがあったという話を聞いた
今日も今日とて雑談に華が咲いたのでその内容をメモしておきます。
ウイスキー等のアルコール度数の高い酒を入れる携帯用の容器。
語源は「スキットル」という、ボーリングの元になったとされる18世紀頃のイギリスで流行った遊びで使われる木製のピンに形が似ていたから、と言われているようです。
チタン製は味に変化が生じにくいが、加工が難しいため値段が張る、などの材質による特徴や質、価格についての話。錫は比較的安価。
錫や鉛といった金属の名前が出てきたので。
ヨーロッパの錬金術では七つの惑星(現在の惑星の定義とは一致しないため、天体とざっくり考えた方が良い)に神と金属が対応して考えられていた。
| 金属 | 惑星(天体) | 神 | シンボル |
|---|---|---|---|
| 金 | 太陽 | アポロ/アポロン | ☉ |
| 銀 | 月 | ディアナ/アルテミス | ☽ |
| 銅 | 金星 | ヴィーナス/アフロディーテ | ♀ |
| 水銀 | 水星 | マーキュリー/ヘルメス | ☿ |
| 鉄 | 火星 | マルス/アレス | ♂ |
| 錫 | 木星 | ジュピター/ゼウス | ♃ |
| 鉛 | 土星 | サターン/クロノス | ♄ |
元素の話になったので、続けて元素記号の話を。
チタンは元素記号「Ti」で表される。これは名前の通りTitanからで、さらにTitanはティターン(タイタン)神族に由来します。
銅は「Cu」。英語ではCopper。英語名・元素記号共に古来から良質の銅が算出されたキプロス島にちなむといいます。
さらにキプロス島はアフロディーテの神話があったため、錬金術においてアフロディーテとその象徴の金星が銅と結び付いたとされます。
こんなところから、金属の歴史を知ることもできますね。
金は「Au」。これは金を意味するラテン語aurumから。これはオーロラ(aurora)と同じく光の意味から。さらに辿るとヘブライ語のor(光)とも同じ語源。生命の木で名前を聞く「アイン・ソフ・オウル(無限光)」の「オウル」ですね。
水銀は常温で液体の金属のため、洋の東西を問わず神秘的な金属と考えられ、錬金術でも練丹術(外丹)でも不老不死の霊薬ともされました。
中国の有名どころでは秦の始皇帝の陵墓に水銀が流れる川が100本作られていたといいます。
日本では奈良の大仏の金メッキをする際の用法として水銀が用いられたそうです。
銀は浄化の力を持つとされたり、毒を検知するとされます。ヨーロッパでは毒を発見するために銀食器が使われたとか。
こうした特長から、狼男や吸血鬼、悪魔に対して有効な攻撃手段として銀で作られた弾丸が考え出されたり。
そういえば今日(※11/23)は満月ですね。
狼男や吸血鬼が出るかも。
たたら製鉄に携わる人は片目で火の色を見るため(また、そのせいで片目が見えなくなる)、一つ目の存在として表象されると言われます(若尾五雄や谷川健一)。
また、製鉄・鍛冶の神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」との関連も指摘されます。
天目一箇神は、珍しいところですと太平山神社の奥宮に祀られています。
Webサイトによると東国平定のために遣わされたとのことですが、ひょっとして何か製鉄との繋がりがあったのでしょうか。
星宮神社があるので、(金)星の信仰もあったものと思われますが……果てさて。
余談ですが、栃木の近場だと「多々良沼」という沼がありますが、名前からして怪しい。
話としてはやはり製鉄を臭わせる話もありますね。
そろそろ白鳥が来ても良い時期だろうとのこと。
鉄というと島根もよく話題に上ります。神話でもスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治、もっと言うと天叢雲剣があるので。優れた鉄器を持っていたのではないかと。
銀の話題が出て、さらにたたらや製鉄という単語が出てきたので、石見銀山と石見に伝わる妖怪を思い出しました。
そう、「野馬(のうま)」です。
特徴としては
という。これも一つ目でたたらとか製鉄とか気になる単語があちこちにあるので気になる存在。
日本の塗装というと漆がパッと出てきますが、個人的に漆と言うと即身仏を連想します(偏見)。
漆の樹液を飲んで嘔吐することで体内の水分を減らす上に、殺菌効果を期待したものと考えられるそうですが……死後ならともかく、生前に飲むという修行を行うのは凄まじいことだと思います。
栃木県には星宮神社という名前の神社が特に多いです。
ご祭神は今こそ「根裂神」「磐裂神」とされるケースが多いものの、神仏習合の時代は虚空蔵菩薩を祀るものであったという。明けの明星が虚空蔵菩薩の化身・象徴とされたため、星と繋がります。
栃木圏内に星宮神社が多い理由については諸説あるものの、有名なものとして「日光の修験者が各地に伝えた」というものがあります。
鰻が虚空蔵菩薩の使いと考えられたため、「鰻を食べると目が見えなくなる」として食べることを禁忌とする信仰が伝わっています。
『北の郷物語』辺りに「田島町の星宮神社で毎夜のように太鼓の音がするという怪異があった。後に境内で野衾の死骸が発見され、怪異が収まった」という話がある。
『第3集 北の郷物語』(中島 太郎文・画、岩花文庫 H.25/5/31)の「野衾河童奇談」に、
昭和の中頃、田島町の星宮神社で夜な夜な太鼓が鳴るという怪異があり、後に境内で野衾と呼ばれるムササビの死骸が発見され収まったそうです。
とあります。
通常の妖怪としての野衾は「森の中で松明の火を狙って飛んでくる」という話が一般的に知られていますが、それとは異なる伝承なのでレア。
ちなみにこれは話さなかったですが、むささびは別名「日光天狗」と呼ばれることもあるといいます。
金井紫雲『動物と芸術』だと、むささびは日光に多くいるので「日光むささび」ってことばがある、ってのが載ってた。惜しい
— 氷厘亭氷泉 (@hyousen) 2013年5月3日
日光天狗という名前から日光との関連が連想されます。また、天狗と言えば修験道。と考えると、日光の修験者から星宮神社を連想することができます。
一方で、天狗は数々の怪異を起こしたと各地に伝わりますが、その一つに「天狗太鼓」という、山から太鼓のような音が聞こえる怪異があります。
「天狗太鼓」の怪異と「日光天狗」の名前とむささびという実体、これが混ざって星宮神社の太鼓の音の怪異になったのではないか、と個人的には思っているのですが、星宮神社周辺でむささびを日光天狗と呼ぶかどうかなど確証というか情報がまだ足りないので詳しくは分かりません。
山の話から富士山に。
富士山と言えば富士講。富士講と言えば角行。角行は足利市の大月町で修行していたこともあったとのことで、同町には足跡が残されています。
生姜の名前の由来は中国での生のしょうがを表す「生薑」の読み「ショウキョウ」から来たとされるようです。
今回も色々な話が出ました。
またコーヒーを片手に雑談した内容をまとめておきます。四方山話なので学術的なところは踏み入りません。あしからず。
名前が同じ神社って稲荷神社とか諏訪神社とかたくさんありますが、それぞれがきちんと大元から分霊されているかというと案外そうでもないという話。
もちろんきちんと神職さんをお呼びして御霊を分けて頂くという例も多いのですが、全てが全てそうかと言うとそうでもない、と。
特に神仏分離・廃仏毀釈の流れで今まで仏様をご本尊として祀っていたのを、生き延びるためにどうにか古事記・日本書紀の神様に無理やり宛がって祭神を変更し、改名したという例もあります。
例えば「第六天神社」とか。
元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した
こんな感じですね。「六」という数字からどうにか記紀神話に由緒がある神様にご祭神を変更した、と。
もっと「ちょwおまwww」と言いたくなるのがコチラ。
某所の白山神社。名前からすると、石川・福井・岐阜にまたがる白山を中心とした山岳信仰から連なる白山神社と想像できます。
白山自体も修験道の関係で九頭龍とか白山明神・妙理大菩薩とか一筋縄では行きませんが、その辺りは本筋とは関係ないので端折ります。
で、先の白山神社、元々は「百済神社」だったらしいです。百済(くだら)ですよね。
ところが、当時の民衆が文字を読めず「ひゃくさいさま」と言っており、そこに江戸時代の役人が神社調査を行った際に「ヒャクサイさまとはどんな神様か?」と考えた末に、「音の感じ的にきっとハクサンだろう」ということで白山の文字を当ててしまい、以降白山神社になってしまったのだとか。
……いや適当過ぎでしょ!
ということで神社の名前があっさり?変わってしまったという例です。しかも名前が変わったらハクサンなので「歯苦散」ということで歯の痛みに霊験ありという信仰が生まれたとかそういう尾ひれまで付いているので、「おいおい」と。
この話はきちんと『足利の伝説』(台 一雄著、1974年発行)という書物に記されています。
変わって仏教の話。僧侶の場合は
といった話が比較的有名ではないかと。
見方によっては、地質学に長けていたとか、土木建設の数学・物理的な知識・技術を持っていたということができるのではないかと。
そういう専門的な知識・技術を持って民衆を助けていたというところではないかな、と。
天目一箇神(アマノマヒトツメノカミ)という製鉄・鍛冶の神が奥宮としてひっそりと祀られ、表は星の信仰があった、とすると製鉄や冶金のような専門的な技術者の集団と信仰について考えたくなります。
星と言うと修験とか密教も関与が考えられるので、そういう意味でも仏教に掛かってくるのかな、と。
さて、こうした伝説に自分がどこから興味を持ったかと言うと、東方以外の何者でもないのですが東方の前はやっぱりファンタジー系だったので、北欧神話辺りはよく調べていたな、と。
トールキンの『指輪物語』とか、最近だと『ロード・オブ・ザ・リング』辺りがビジュアル的に連想しやすいのではないかと。ドワーフとか。
一般の方だと余り馴染みがない北欧神話ですが、現代にも北欧の名残はあって、最も身近な例は英語の曜日。
土日月が除いて、他は
と北欧の神に由来しています。身近なところに名残があるでしょう?というお話。
これはお話しませんでしたが、余談。
北欧で使われていたルーン文字は魔術的な意味があるとして今でもファンタジー御用達ですが、近距離用無線の規格であるBluetoothは初めてノルウェーとデンマークを交渉により無血統合した王様の通称に由来したもので、ロゴはその通称に使われる2文字を合体させた文字になります。
Bluetooth のロゴは、北欧の長枝ルーン文字(イェリング墳墓群の石碑に見られる)でハーラル・ブロタンの頭文字の H と B を組み合わせたものに由来する。
「つまり我々はルーン魔術によって無線通信を行っていたんだよ!!(AA略」
というわけで、こんなところにも北欧の風が吹いているのです。
曜日の話から日本の暦について。六曜とかもありますが、日にちの数え方で言うと先週も話した「十干」と「十二支」を組み合わせたもので表現していました。
「丙午(ひのえうま)」とか「庚申(かのえさる)」とか。
ちなみに、年と月と日と時刻(例: 丑三つ時)に十二支を使うので、「寅の年、寅の日、寅の刻」や「寅の年、寅の日、寅の刻」なんていうゾロ目的なことも起きます。
毘沙門天様は虎がお使いとされるので、鞍馬寺では「寅の年、寅の日、寅の刻」、信貴山朝護孫子寺は「寅年、寅日、寅の刻」にそれぞれ毘沙門天様が現れた、とされます。
あと暦というと太陰暦ですかね。旧暦とも言われます。
特に江戸時代の天保暦が有名かと。
ただ、この天保暦のルールで月を決めていくと、2033年に月の名前が定まらないという問題があり、少し前に話題になりました。
暦って当たり前のように使ってますが、科学の発展によって成り立っているのだと改めてありがたさを感じる次第。
以上、雑多な話題ですがまた引き出しを開けたのでメモまで。
コーヒーを片手に雑談した内容をまとめておきます。
本日11/10は丙午の日でした。
今日はまとまった時間が取れそうだったので、自分が管理しているWordPressのサイトのアップデートを粛々と進めようと思っていました。
しかし、丙午の日ということで「大事になったら嫌だな」という忌避感が働きました。ネットで火というと「炎上」なんて言葉も聞きますし、いくら仮想空間の上とはいえ火は関係ないとは言いづらい感じがしました。
ちなみに何故「火」かと言うと、丙午は「丙」も「午」も五行では火行に属すので、火の勢いが最も盛んと言われるからです(詳しくは後述)。
ということで、気休めに「猿」を求めて、WordPressの100%PGLライセンスの有料テーマ・Snow Monkeyのサイトをバックで表示しながら作業するという、「火旺を水生で制する」呪いをコンピュータ上で実施していました。……なんでしょう、この時代錯誤感。でもそのお陰か恙なくアップデート作業を完了することが出来ました。ありがたやー。
ということで、日が高いうちから「今日は丙午だ」と分かっていたので、コーヒー片手に丙午の話題からスタートしました。
さて、ここまでずっと「丙午」と言ってきましたが、かつて年や日は「十干(じっかん)」と「十二支」を組み合わせて数えていました。
十二支はお馴染み、「子(ね)」から始まり「亥(い)」で終わるアレです。
一方の「十干」は今となっては聞き馴染みのない言葉です。こちらは、陰陽五行説に因むもので、五行の火水木金土それぞれに陰陽を当てたものになります。陰陽を兄弟の文字で当てて、「陽」は「兄(え)」、「陰」は「弟(と)」とします。後は、五行それぞれに「兄」「弟」があるので、木行ならば「木の兄」=「きのえ(甲)」と「木の弟」=「きのと(乙)」となります。ちなみに、物を数え上げるときにたまに使う「甲乙丙丁……」はこの「きのえ(甲)」「きのと(乙)」「ひのえ(丙)」「ひのと(丁)」の並びですね。
この「十干」と「十二支」を組み合わせて日付等を数えていた、ということです。なお、10と12を順番に組み合わせると10*12=120通りの組み合わせが考えられそうですが、最小公倍数が60で一回りしてしまい、残りの60は組み合わさらないことになります。60歳のお祝いで「還暦」というのは、年を「十干」と「十二支」で数えると60で一回りする(暦が還る)から還暦ということですね。
今「十二支」のことを「干支」と書いて「えと」と読むのは、「えと」の音は「十干」由来なので本来の意味から外れているし、「干支」の「干」も「十干」からなので、きちんと「十二支」を表しているのは「支」の文字だけと言う何とも本来の意味からは遠くなってしまった言葉ですが、「十干」の概念自体は甲乙や還暦に微妙に残されている、ということでちょっとしたトリビアになるかと思います。
今度は「午」の方ですが、十二支を時計順に並べたとき、子は上なので北、午は真下なので南、というように割り当てることができます。こうした割り当て方をすると、子は水、午は火に属すことになります。ちなみに卯が木、申が金となります(土は中央なので割り当たらない)。
したがって、「丙午」は「陽の火」かつ午も「火」なので、火行の勢いが最も盛んということになります。
また、江戸時代に「丙午の年には火災が多い」という迷信から、創作の上で八百屋のお七が丙午の年の生まれとされるようになったと言います。
そうした背景から、「丙午の年の生まれの女性は夫の命を縮める」といった迷信も生まれました。あくまで迷信ですが。
『絵本百物語』に「飛縁魔」という人間の助成の姿をした妖怪が描かれています。名前は「空飛ぶ魔縁(仏教の妨げとなる存在)」あるいは「火の閻魔」に引っ掛けたものとも、上記の迷信とも関連付けられることもあります。
閑話休題。一度丙午から離れて、同じく十干と十二支を組み合わせた日付の一例である「庚申(かのえさる)」について触れておきます。
こちらは「庚申塔」や「庚申待ち」といった信仰の対象ともなった日付です。庚申というと三尸中の話が出てきたり、申から猿田彦神にも話が飛んだりとこちらはこちらで話が尽きないのですがそれは一先ず置いておいて、「丙午の年の生まれの女性は夫の命を縮める」と同じようにその年の生まれに関する迷信として、「庚申の年に生まれた子は大泥棒になる」という迷信がありました。
中には彼の石川五右衛門もこの庚申の生まれとして、「五右衛門の親庚申の夜を忘れ」といった川柳が読まれるなど、こちらも知られた迷信だったようです。
さて、話を丙午に戻します。
馬はかつて大事な労働力であり、財産でもありました。そこで馬を守護するために、厩(うまや)に守り神を配する信仰が生まれました。
その厩の神様として宛がわれたのが、猿。有名なものでは、日光東照宮の神様が乗る馬をつないでいた神厩舎にあの「三猿」が彫刻されている例を挙げることができます。
この他にも、厩には猿の頭蓋骨や体の一部を納めて祀っていたとも言われるようです。
では何故猿なのか、ということについては諸説あるのですが、そのうちの一つに吉野裕子氏の陰陽五行道に当てはめた説があります。
陰陽道において、物事は最初の起こりの「生」、勢いが盛んな「旺」、最後に衰退していく「墓」という「三合」という3つの状態があるとします。
先ほどの十二支を土以外の五行に当てはめた際に、子の水や午の火などはこのうちの「旺」に当たるとします。子は水の旺、午は火の旺、といった具合に。
勢いが盛んな旺の五行に、墓の五行を当てても負けてしまうでしょう。旺同士だと勢いが強すぎるので、生の五行を当てて丁度良く制御しよう、ということで、「火の旺」である午には、「水の生」を宛がいたい、と。
では「水の生」は十二支のどれかというと、12を3で割って4、つまり水の旺の4つ前の十二支が水の生である、と。これが申です(ちなみに4つ先の辰が水の墓)。
なので、午(馬)には申(猿)ということです。
十干と十二支の話はこれくらいにして、次の話題に。
河童のモチーフは様々ありますが、とある創作では外国人の姿なども遠因の一つではないか、と言及されていたとのこと。
外国人がモチーフとして取り込まれるという話は鬼ではそこそこ聞きますが。
ちなみに外国人ではないですが、河童というとその起源を説明する一つの伝承として大工の式神というパターンがありますね。
腕の良い大工(左甚五郎だったり飛騨の匠だったり)が、短期間で城を作れと命じられます。
しかし、あまりの短納期の上に人手が足りなかったというデスマーチ状態だったので、組み木細工の人形を作って式神とし、それを使役することで人手を賄ってお城を完成させます。
お城は無事に完成したものの、人形は不要になってしまったので大工はその人形達を一斉にリストラにして川に捨ててしまいます。曰く、人の肝を食って生きろ、と。かなりのブラックな職場ですね。
で、その人形達が河童になったというのが伝承のあらすじ。組み木細工のため、両腕が一本の木材からできていたといいます。なので、ジェンカで木片をすっと引いたりするように、片方の腕を引っ張るともう片方の腕が縮むのだとか。そのため、「河童は腕が伸びる」と言います。のびーるアーム。
ちなみに河童が土木建築が得意だという例は、東京の合羽橋にも河童が氾濫に負けない丈夫な橋をかけたという伝承が伝えられ、河童寺なるお寺に祀られているという信仰も残されています。
これも伝承のみの姿ではなく、川原を放浪する集団がいて、そうした人たちの姿が河童のモチーフとして吸い上げられたのではないか、という説もあるようです。
ちなみに、河童のイメージが固まったのは江戸時代より後で、鬼や天狗から比べると比較的新参者と言えるでしょうか。
全国の水辺の怪異がまとめあげられる中で、水の精霊としての「ミズチ(水の霊(チ))」が訛ったメドチなるものも混ぜられたり、わりとカオスです。それも一緒で良いのか、と。
話は変わって弘法大師。全国各地で杖を突いては真水や塩水や酒を湧き出させたり、餓えたところに見かけた食料を持った人にすげなく断られて嫌がらせ(?)したりといった伝承で有名なお方(酷い偏見)。
後者で言うと、芋を分け与えられなかったので、いくら煮ても柔らかくならない石のような芋に変えてしまったり、鯖を運んでいる馬の腹が病むと予言したらその通りになったので回復する呪文を唱えて回復させお礼として鯖をもらったりと、食べ物関連の話もそこそこあります。
後者は「鯖大師」として祀られたり。前者の例も全国津々浦々にありますが、例えば全国でも稀有なニホンカワモズクの自生地としても知られる湧き水がある「芋の森神明宮」が挙げられるでしょうか。
どちらの伝承も全国に散在するので、おそらくは本人ではなく、それを信仰する人たちによって布教する傍らで広まった話なのではないか、云々。
同じようなものとしては小野小町伝説とか。
山形の米沢にある「小野川温泉」とかも小野小町伝説がありますね。
場所は外れますが、福島県河沼郡の柳津町の粟饅頭は美味しいとのこと。柳津町というと日本三大虚空蔵尊に数えられる福満虚空蔵尊圓蔵寺があります。
虚空蔵菩薩というと空海が四国で修行した際に口に飛び込んできたということでも知られますね。
上記の他、六曜や元号、東山魁夷(昨日見てきたので)や岡本太郎などの話もありました。
上記の話は実際の雑談を元に周辺の話も肉付けしていますが、それにしても色々な話題が出ましたね。頭の体操には丁度良かったです。
Wikipediaが多くて恐縮ですが。
中世ヨーロッパでは、コーヒーハウスはただコーヒーを飲むだけの場所ではなく、様々な人が集まって共通の話題を話したり、議論したりした社交場として機能していたと言います。
それにあやかるわけではないですが、今日はコーヒー屋さんで様々な話題を取り上げたのでメモしておきます。
うーん、風呂敷を広げ過ぎましたね……。話題が多岐に渡り過ぎました。