総代さんから

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代官町

一番有名な長良神社に。

長良神社は館林・太田・邑楽、後は埼玉にも少々、どうも利根川沿いの地域に分布しているようです。

その数は30数社とも60社とも言われています(おそらく神社庁加盟神社のみのカウントや長”柄”神社といった字違いを含めるか等によって数がブレているものと思われます)。

いずれにしても言えるのは、先の通り群馬の鶴の頭部分辺りのエリアに密集しており、逆に他の地域では全く見られないという超ローカルな特異性。
何故この地域にのみ長良神社が密集しているのか?

ご祭神は藤原長良公、平安時代の貴族です。
超一流のトップ、とまでは行かなかったものの(弟はなった模様)、その次に次ぐくらいにはエリートだった模様。

伝説に拠ればこの辺りに住んでいた生娘を喰らう大蛇を退治して治め、その功績により祀られるようになった模様です。
が、京都で活躍した方が、縁もゆかりも無い上毛国に下向したとは考えづらく(まして武士ではなかったので大蛇退治は考えづらい)、大蛇は荒ぶる水の神で水害に対して治水を行った、とも考えられますがそれでも何故上毛国なのかは不明。

瀬戸井

二社目の長良神社。

こちらは本宮、つまり先程の長良神社も含めた長良神社のルーツ、と伝わる由緒正しい長良神社です。

参拝していたらお賽銭を回収しに来た総代の方とお会いし、お話をお伺いすることができました。

先の投稿で記した大蛇退治の伝説、退治した大蛇の躯を8つに分けて8箇所に祀ったのが長良神社の起こりとのこと。
大蛇が住んでいたのは今回のこの神社の裏手(昔は大きな沼だったとのこと)だということ。

ただ、やはり武官ではなく文官である藤原長良公が大蛇退治は少し苦しいのでは。総代の知人の国の技官だった方が調べて恐らく治水を行ったということではないか、と考えているということ。

東日本大震災で倒壊したが復旧した長良神社もあれば、鳥居に補修を行った長良神社もある。

利根大堰によって利根川の川幅が広がり、その際に流路も変わったので今の場所に遷座した長良神社もあるとか。

利根川の水分蒸発量が変わり、気候も変わった。
川の南のグライダーはそれを上手く活用している例だろう、とのこと。

現地の方のお話を聞くことで見方が全く変わるという体験を久々にした気がします。
この邂逅に感謝を。


メモ

他、鳥居にギプスを巻いているところもあるとか。

東日本で倒壊したのを再建した長良神社もあれば、この長良神社も石灯籠が倒壊して石屋が別のものを建てたという。

利根川は利根大堰を作ったことで川幅が大きくなり、水分蒸発など気候も変わった。グライダーもそれを利用しているとか。

国の技官の男性が調べたところ、大蛇ではなく治水だろう、と。

長良神社本源。

昔裏手の大沼にいた生娘を年に一人ずつ食べていた大蛇を退治に下向して、大蛇の躯を8つに割いてこの辺りに祀ったという。それが34社まで増えた。

要石

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多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1,317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山(標高1,377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている(詳細は近江国風土記#竹生島の伝承を参照)。

坂上田村麻呂伝説のうち坂上田村麻呂の東征譚をモチーフにした御伽草子『田村草子』では、琵琶湖の竹生島の弁財天は田村丸と契りを結んだ鈴鹿御前の化身とされる。御伽草子『鈴鹿草子』でも鈴鹿御前は竹生島弁財天として再誕している。

中世には竹生島は西日本の地震に関する聖地とされていた。『渓嵐拾葉集』によれば、竹生島は大地の最も深い場所である金輪際から生え出た金剛宝石の柱であり、仏陀が正覚した時に座していた金剛座である。故に、この地の本来の地主権現は釈迦如来である、としている。また、島には弁の岩屋と呼ばれる龍穴があり、そこから現れる竹生明神という魚龍(大鯰)が島を7巡りするようにとぐろを巻き、尾をくわえて島を鎮めているという。

中世には水晶輪の島とされ『平家物語』や『源平盛衰記』などに登場する。『渓嵐拾葉集』では、船で近寄ると「りゃんりゃんと響く」島とされている。

竹生島 – Wikipedia

金輪際から生えている地震鎮護の島。

竹生明神という魚龍(大鯰)は地震の大鯰に通じ、島を7巡りするようにとぐろを巻くというのは三上山の大百足に通じ、尾をくわえて島を鎮めているというのは鹿島の大蛇に通じる気がする。

健磐龍命といえば阿蘇。大鯰が阿蘇山のカルデラの大池にいたといい、鯰宮があるとも。もしかしてここにも通じる?

大岩毘沙門天

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  • 過去に2度焼けている
  • 745年行基開山
    • 行基は最初元日赤裏の徳正寺に来て夢のお告げで大岩山に建立した模様
  • 本尊は杉造り
    • 御神木は杉
  • 裏仏あり、氷掲羅天童子
  • 御朱印の祈祷、手印を結んでの九字と九字切りでお祓いしてからの祈祷、コロナ終息や世界平和を祈願しつつ、毘沙門天様の真言・吉祥天様の真言・善弐師童子の真言を順番に唱えていた
  • 虎プッシュしてた
  • 山の鎮守は山王様っぽい
    • しかしそれは比叡山では……?
    • 御朱印にも猿が描かれているから日枝神社なのは間違いないと思うが
  • 叶権現は白蛇
  • 99日目に現れたとか
  • 紫雲は土や植物由来で燃やしたとき?香りのある紫の雲が出る模様

行田

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忍諏訪神社

常世岐姫神社

持田劔神社


  • 諏訪神社と多度社・一目連神社
  • 常世岐姫神社2社
    • 常世岐姫神社は新しい課題
  • 劔神社の大天白神社
    • 大天白神社は近辺コンプリート
  • 常世岐姫神社1社目と劔神社から行田は塞神信仰圏なのかも?

女化神社

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有名な方

根本女化稲荷神社

その他


おそらく違うけど近くにあったので

佐久市の鯨宮について

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長野県佐久市に鯨塚がある。昔、佐久下県(現佐久市伴野)の千曲川まで鯨が遡上してきた。水の少ない場所は体を横にして川をせき止め、水がたまれば一気に上がる。これをくりかえして登ってきたが、下県の住民が鯨をしとめてしまい、その頭部を御神体として祀ったという。海から離れた佐久一帯にはなぜか鯨伝説が多い。

鯨塚 – Wikipedia

■鯨(くじら)を供養する最も標高が高い場所が佐久に。
その昔、新潟に鯨の夫婦がおり、信州佐久の小海に行って暮らそうということになり、千曲川を交互にせき止めて上ってきましたが、八千穂の畑下の住民がしとめました。
しかしその人は「申し訳ない」と思い鯨之宮を造ったそうです。
日本人は縄文の昔から鯨を食べてきました。また鯨に感謝し、鯨を供養してきたので各地に鯨の慰霊所が残っています。その中で最も標高が高い場所にあるのが長野県南佐久郡八千穂村
下畑の諏訪神社の境内にある鯨之宮(魚宮とも)です。
6.19

佐久鯉元祖【佐久ホテル】のブログ♪温泉もどうぞ 鯨(クジラ)供養最高地点は?

この辺り?